その優しさ、自分を削っていないか
マグロの骨は、流せなかった
人の悩みは
・健康
・人間関係
・経済
この3つにほぼ集約されるという。
その中でも一番大切なのは「健康」だとよく言われる。
たしかに、どれだけお金があっても、どれだけ人間関係がうまくいっていても、
病院のベッドで管につながれていては何にもならない。
だからといって、他のふたつを無視して健康だけにフォーカスしても、
人生はどこか味気ない。
結局のところ、この3つのバランスをとるのがいい。
そう思って、日々を過ごしていた。
……はずだった。
でも最近、
その中の「人間関係」で、ちょっとした引っかかりがあった。
きっかけは、ちょっとしたやり取り。
いつものあたしなら、たぶん流していた。
大したことじゃない、で終わらせていたと思う。
でも今回は違った。
まるでマグロの骨みたいに、
でっかくて、しっかり引っかかる。
本人は笑い話にしたいのかもしれない。
でも、あたしの今の立場では笑えない。
というか、正直に言えば、
少し腹が立った(#^ω^)ピキピキ
誰だって
選ばれると、必要とされると、気にかけられると嬉しい。
だからこそ逆に、
少しだけ、自分の中の基準を緩めてしまうこともあるんじゃないか?
実はそのときあったのは、「怒り」だけではなかった。
どちらかというと、
「ん?」という違和感。
大切にしたいものが、
少しだけ雑に扱われたときの感覚。
それを「仕方ない」で流すか、
「違う」と認めるか。
分かれ道がその瞬間あった。
優しさという言葉はときどき便利に使われる。
受け入れること。
流すこと。
波風を立てないこと。
それが優しさだと、思っていた時期もあった。
でも、少し違った。
優しさは、
自分の世界を差し出すことではない。
自分が大切にしているものを、
ちゃんと大切に扱うこと。
それを守るために、距離を変えること。
それもまた、自分への優しさなのだと思う。
人は「選ばれる側」に立っていることがある。
でも本当は、
いつでも「選ぶ側」でいていい。
誰を近くに置くか。
どこまで関わるか。
それは、自身で決めていいことだ。
大きな決断じゃなくていい。
ただ少し、距離を置く。
それだけで、
世界は思ったよりも静かになる。
そしてその静けさの中で、
自分が何を大切にしているのかが、
少しずつ見えてくる。
無理に誰かを嫌う必要はない。
ただ、自分の世界の中に、
どの距離で存在してもらうか。
それを選べばいい。
選ばれることよりも、選ぶことを。
それだけで、一日一日が
少し楽になることがあるんじゃないかな。
