認識研究室

なぜ同じものを見ても違って見えるの?

私たちは、本当に同じ世界を見ている?

同じ出来事を経験しても、
「楽しかった」という人もいれば、
「最悪だった」という人もいます。
ご存じの通り、私たちは、
目の前の世界をそのまま受け取っているわけではありません。
これまでの経験や知識、興味、そのときの気分などを通して、
それぞれの世界を見ています。

つまり、同じ場所にいても、見えている世界は少しずつ違う。
同じ音を聞いていてもとらえ方は違う。

ここでは、まずその不思議から考えてみます。

目で見たものって、本当にそのまま見えてるの?

私たちは普段、
「見えているんだから、そこにある」
と思っています。
でも実際には、目から入ってきた情報をもとに、
脳が意味をつけながら世界を認識しているにすぎません。
だから同じ景色の中でも、ある人には見えるものが、
別の人にはまったく目に入らないことがあります。

見ることと、認識することは同じなのか。

ちょっと怪しくなってきませんか?

どうして「見たいもの」ばかり見えてしまうの?

新しい車を買おうと思った途端、街中でその車ばかり目につく。
赤ちゃんを授かった途端、ベビーカーがよく目に留まる。
そんな経験はありませんか?
車が突然増えたわけではありません。
ベビーカーがいきなり増殖したわけではありません。
今まで重要ではなかった情報が、
自分にとって重要になったことで、認識に上がってきた。

私たちは世界のすべてを見ているのではなく、
自分にとって重要なものを選びながら見ている
とも考えられます。

当たり前なようで不思議なこの現象、スコトーマ研究室で
詳しく考えてみています。

「事実」と「自分の解釈」は、どこまで同じ?

話しかけたのに返事をもらえなかった。
これはひとつの出来事です。
そこから、
「怒っているのかも」
「嫌われたのかも」
「忙しいだけかも」
と考えるのは、私たちの解釈です。
ところがいつの間にか、
自分の解釈を、起きた事実そのものだと思ってしまう。
そんなことって結構ありますよね。
「実際に起きたこと」と
「自分がそこにつけた意味」。
一度分けて眺めてみると、
世界の見え方が少し変わるかもしれません。

stand.fmでも少し話しています。
『無視されたって、本当?』

認識が変わると、世界も変わるの?

目の前にある世界そのものが
突然別物になるわけではありません。
でも、今まで見えていなかった選択肢が見えたり、
同じ出来事に別の意味を見つけたりすると、
その後の行動は変わります。
行動が変われば、起きることも変わっていく。
この研究室で扱いたいのは、
「正しい見方に変える」ことではありません。
「ほかの見方もあるかもしれない」
と気づくこと。
その小さなズレに気づくことから、変化は起こると考えています。

集中と没頭、何が違う?

「集中しなさい」
勉強でも仕事でも、よく言われる言葉です。
ひとつに意識を向ければ、それだけよく見えるようになる。
たしかにそうです。
でも同時に、見えなくなるものもあります。
つまり集中とは、
何を見るかを決めることは、何を見ないかを決めることでもある。
では、集中という意識を少しゆるめたらどうなるのか。
そんな問いから生まれたのが、
「集中をやめたら、IQが上がった。」
という資料です。
集中を真っ向から否定する話ではありません。
注意の向け方で、見える世界は変わる。
その感覚を、少し覗いてみてください。

じゃあ、見えていないものについて、もう少し研究してみる?
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