悩みは「答えを出そうとしたとき」に始まる
「悩みがないのが悩みです」
冗談ではなく、本気でそんなふうに生きている人がいる。
あたしの周りには、たったひとりだけ。
師匠だ。
まあ、師匠はちょっと別枠。なので、納得はしている。
とはいえ、あたしを含めた一般ピーポーにとっては、
悩みがない状態なんて、あまり現実的ではない。
むしろ、
人は悩みとともに生きている。
それがデフォルトだろう。
今回は、その「悩み」と、
そこにくっついてくる「不安」、
そして「心」について、少しだけ見てみたい。
ちな、ここでいう悩みは、“解決するための思考”とは少し違う。
「心」というものが、どこかに“ある”ように感じることがある。
でも、それを取り出して見せることはできないし、
形を確かめることもできない。
ただ、そのときどきに起きている反応や、
ふっと湧いてくる感覚や、
記憶の動きに、
名前をつけているだけなんじゃないかなあ。
心の動きの中に、「不安」がある。
まだ起きていないことに対して、
少し先回りして揺れる感じ。
こうなってほしい、という思いと、
どうなるかわからない現実とのあいだで、
行ったり来たりしている。
そして「悩み」。
本来は、何か問題があって、
それをどうするか考えている状態のことを言うはずなのに、
いつのまにか、
考えていることそのものよりも、
そのときに一緒に出てくる感覚のほうを指していることが多い気がする。
少しややこしいけれど、
悩みと呼んでいるものの多くは、
不安と、そんなに違わないのかもしれないなあ。
ここまで見てくると、
悩みも不安も、
「心」という流れの中で起きている出来事のひとつ、
そんなふうにも見えてくる。
さて、ここから少しだけ視点を変えてみる。
悩みは、本当に「解決」しないと終わらないのだろうか。
正しい答えを見つけて、
納得して、
それでようやく終わる。
そんなふうに思っていたけれど、
もしかしたら、
少し違うのかもしれない。
たとえば、
何かひとつの出来事があったとする。
そのとき、
うまくいかなかった、と感じることもあれば、
まだ途中だな、と思うこともあるし、
ただやってみただけ、と受け取ることもできる。
出来事は同じでも、
見え方は、そのときどきで変わる。
なのに、
どれかひとつに決めようとしたときにだけ、
少し重たくなる。
ああ、この状態が悩みかもしれないねえ。
答えを得ようとするから、もがくのかもしれないねえ。
だから、
無理に答えを出さなくてもいいのかもしれない。
意味をひとつに決めないまま、
少しだけ置いておく。
それだけで、
さっきまでとは違う場所に立っていることがあるから。
悩みって、
もし、何かがほどけた感じがしたなら、
たぶん、それで十分。
こういうの、ぽちぽち書いてます。
ブログ更新はLINEでも流してます。
▶https://line.me/R/ti/p/%40444osjcy
気が向いたらLINEで「ブログ」って送ってみてください。
更新したときにぽわっとお報せが届きます。
