日本から感性が消えていくかもしれない話
いい音って、何だろう。
そう聞かれると、少し困る。
高音がきれい、とか
低音が響く、とか
言葉にしようとすれば、いくらでも出てくるのに。
どれも、少し違う気がする。
先日、ものづくりが好きな人と話した。
スピーカーを自分で作ってしまうような人で、
技術の話になるかと思いきや、
ぽつりと、こんなことを言った。
「日本には、いいテストドライバーがいないんだよね」
鈴鹿サーキットからF1、
その流れでのお話だった。
メカニックに微細な違和感を伝えられる人が多いのがヨーロッパ。
日本はモータースポーツへの縛りがきつすぎて、
その世界の職人がなかなか育たないのだそうだ。
同じ車に乗っても、「なんかいいね」で終わる人と、
「ここがこう違う」と感じる人がいる。
その差は、技術じゃなくてたぶん、別のところにある。
いい音も、同じだと思う。
同じスピーカーで同じ音楽を聴いても、
「よくわからない」で終わることもあれば、
なぜか、身体が少し動くような感覚になることもある。
でもそれは、スペックでは説明できない。
たぶん私たちは、音を聴いているようで、
音そのものを聴いているわけじゃない。
もっと別のものを、どこかで受け取っている。
それを何と呼べばいいのか、まだうまく言えないけれど、
ひとつ言えるのは、
感性って、
能力じゃなくて“環境との関係”の中で生まれてる。
人はそれぞれ、
いや、同じ人でさえその時の状況で、
同じものを見ていても、
同じようには感じていない、ということ。
そしてもし、
その「感じる力」が少しずつ薄れているとしたら…?
それは、
ちょっと真剣に考えなければならない問題かもしれない。
ドキドキ
